一昨年（2000年）のある日、「母と私」という原稿募集をたまたま新聞で見かけ、そのテーマに惹かれて応募してみました。応募作品のなかからどういう訳か、その一編に選ばれ、一冊の文庫に収められました。
　ふろしきとはなんら関係のないこと、ましてや私事のことで冷や汗ものですが、ご紹介いたします。
　森田知都子（小学館 2001年3月発行）

小学館文庫「母と私」2001年3月発行 「母と私」〜豆を炊く母〜　森田知都子（京都市 コピーライター )

母は、よく豆を炊いた。 　決して、人様に自慢できるような出来栄えではない。ただ、じっくりと煮込んだというだけの素朴なもので、焦げ付かせたり、皮がむけたりしたことも多かったけれど、それでもよく豆を炊いた。 　私は高校を卒業し、大学に入学をすると親元を離れた。母は私が帰省するたびに豆を炊き、びんに詰めて持ち帰らせた。 　大学時代の私は、思い出すのが恥ずかしいほどいいかげんだった。約束の時間に遅れる、時にはすっぽかす、人に借りたものを返さない…。そんなちゃらんぽらんな行為をくり返していた。反省や後悔の念もあまりなかった。 　遠く離れて暮らしていても、母は私のだらしなさを見抜いていたような気がする。決して、詮索したり、教訓をたれたりすることはなかったのに。 　何事にもいいかげんな娘が、母には歯がゆかったのではないか。びん詰めにした豆を私の鞄に詰めながら、必ず「マメになるように」と、ひとこと添えた。 　大学を卒業後、就職したものの約一年で退職。その後も私は、アルバイトやパートでのらりくらりと過ごしていた。相変わらずいいかげんなままだった。 　三十歳を過ぎ、ふとしたきっかけでコピーライターになり、数年の下積みを経て独立した。仕事場も持った。独立するということは、なんと大変か。電話応対、伝票整理、山とある雑事をすべてひとりでこなさなければならない。打ち合わせや取材に出かけ、ようやく机に向かうのは、夕方。徹夜もしばしばだった。怠けることは許されなかった。ましてや、約束を破ることなど。 　それどころか、取材先への礼状、資料の整理、勉強会や交流会への参加などなど、ちょこまかと手を足を動かすようになった。気も働かせるようになった。 　独立して十五年、順風満帆とは行かなかったけれど、きょうまで、どうにかコピーライターを生業としてこれたのも、たぶん、私が少しは「マメ」になれたからなのだと思う。 　母が、私のために炊いてくれた豆。その効き目が、時を超えてジワリ表れてきたのかもしれない。 　近頃、電話をかけるたびに母は心配そうな声で言う。 「ほどほどにしとかなあかんで」と。 　「わかった、わかった」と、返事しながらも、「なにを今さら…。マメになれと教えたのは、あなたじゃないの」と、私は心の内でつぶやいている。 　母は今年八十一歳、豆を炊くのはおせち料理の黒豆くらいになった。焦げ付かせてもいい、皮がむけてもいい、シワシワでもいい。一年に一度でいいから豆を炊き続けてほしいと思う。